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2009年5月

2009年5月31日 (日)

やっちゃいけないよといわれるとやりたくなる

「これだけはやってはいけないよ」と言われると「それだけはやらなくては!」と思って

自滅行為を繰り返す愚かな子供だった。

子供のときお金を拾って警察に届けたらパトカーに乗せてくれた。サイレンを鳴らすボタンがどれなのか警察の人に質問すると、「教えたらおまえはきっと押すから教えるわけにはいかない」と言われた。そう言われるとよけい知りたくなるもので、「ぜったい押さないから教えてくれ」と私は迫った。

「ぜったいだな」と念を押された。

「ぜったい押さない」と私は繰り返した。

それで警察の人は、ようやくサイレンのボタンを教えてくれた。「これだよ」と言った瞬間、私の手はボタンを押していたのだった。

だが、それをばかな子供の話として、簡単に片づけられるだろうか。

よく知られているように、これをやったらまずいじゃないかなあと思いつつ、ついやりたくなってしまうようなところが人にはある。

たとえば扇風機がそうだ。

だめだろうな、だめにきまってるんだと思いながら、ついやってしまう。

「扇風機の回る羽根のなかに手を入れて痛い思いをする」

痛いのはもう最初からわかってるんだ。だが、やりたくなる。なぜかやってみたくなる。これを私は「日常のごくささいな死の欲動」と名付けたい。そんなことをしたら取り返しがつかなくなると思いつつ、人はやってしまうのである。

CDをセットし、そのまま機械のなかに入って行こうとした瞬間、なぜか強引に、ディスクをなかから抜きだす」

そんなことをしてなんになるだろう。機械が壊れるかもしれない。CDに傷がつくかもしれない。だがやりたいのだ。死の欲動である。

やったことがないけどやりたくなることもある。

子供のころ、私は

「大勢の人が密集して集まっているのに誰も身動きをとらずしゃべりもしない」

という空間が苦手だった。

不気味なんである。

気持ち悪いんである。

こんなにたくさん人がいるのに、みんなが同じ方向を向いて、黙っている。

この異常な非日常の沈黙を、せめて自分の声で破りたい。

そういう衝動にしばしば駆られた。

たとえば、小学校では全校集会なんてものがあって、何百人もの生徒が黙って並んでじっと立って校長先生の訓示を聞いているのだが、

あれが、もう、ダメ。

「おまえら何やってんだー!」と叫び出したくなる。

まぁ一度もしたことはないけど。

「大勢の人が密集して集まってるのに誰も身動きをとらずしゃべりもしない」空間がもう一つある。

そう、劇場だ。

芝居の大事なシーンで騒いだりしたらまずいよなぁ、それは絶対やっちゃいけないよなぁ、と思えば思うほどやってみたくなるという矛盾。

大人になってからは沈黙空間に対する衝動は弱くなったのだが、そういうようなことに想像をめぐらせることは今でもたまにある。

私一人の言動でその日の芝居すべてをぶち壊しにした日には

関係者に半殺しにされるんだろうなぁー半殺しじゃ済まないなぁー極刑決定だなぁーとかそういうことを淡々と考える。

死の欲動だ。

舞台がシンと静まり返ったときに「わぁああー」と間抜けな声をあげて、観客に白い眼で見られ、劇場スタッフに両肩をガッチリつかまれて強制退去で連行されるバカな客がいたら

それが私でないと言い切る確証はどこにもない。

料理という日常にさえ死の欲動は忍び込む。

まずいだろうな、きっとだめなんだよなと思いつつ、世界中のあらゆる台所で取り返しのつかないことは発生しているのだ。たぶん。

「鍋物に、なめるとスースーする飴を入れてしまった」

これは実際、やったことがあるが、飴が鍋の中で溶け、あのスースーしたミント味が鍋全体に広がった。これはもはや一種の汚染だ。食べられたものではない。

ついやってしまう。よくわからないがやりたくなる。

注:宮沢章夫氏の書籍からの引用を含む。

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2009年5月30日 (土)

ぼくは王さま

小学生くらいの子供に読ませる本でいいのはないか、と知人に相談された。

なんでも自分の子が漫画しか読まないので困ってる、と。

アドバイスになるかどうか分からないが、私の推薦書を挙げておく。

児童書にも優れたものはたくさんある。

以下、どれもページがすりきれるくらい読んだもの。

チビ巌のバイブルと言ってもいい。

★灰谷健次郎 「兎の眼」「太陽の子」「手と目と声と」「せんせいけらいになれ」

★寺村輝夫 「おうさま」シリーズ 「こまったさん」「わかったさん」シリーズ

★那須正幹 「ズッコケ三人組」シリーズ

★舟崎克彦 「ぽっぺん先生」シリーズ

★斉藤洋 「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズ

★三田村信行 「ネコカブリ小学校」シリーズ

児童文学の大家ばかり。

この人たちの本にハズレありません。

ウン十年経った今でも覚えてるくらいだから、よほど好きだったんでしょう。

特にズッコケ三人組とかぽっぺん先生とか。

イッパイアッテナはNHKの朗読番組「おはなしのくに」でも何度も読まれました。

お子さんがいらっしゃる方、ぜひ買ってあげてください。

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2009年5月29日 (金)

トウキョウソナタ

「トウキョウソナタ」

http://tokyosonata.com/index.html

家族の崩壊が今、始まったわけではない。

もともと、崩壊するもしないも、蜃気楼のように不確かな存在するのかしないのかすら分からないものを

確かにそこに「ある」ものだと信じて、近代以降われわれは夢を見続けているだけなのではないだろうか。

「エイヨルフ」同様、この映画は今の私の心にはつらい。

痛みに思わずうずくまる。

中でも面接でカラオケを歌えと言われるシーンでは少し震えた。

ホラーを撮ってきた黒澤清監督が初めて家族をテーマに撮った・・・・んだけど、やっぱり、この映画、ホラーです。

冒頭。家の中に強い風が吹いている。

新聞や雑誌が吹き飛ばされ、はたはたとはためくカーテン。

女性が窓を閉める。

が、もう一度開ける。

強い風が再び入ってくる。

TOKYO SONATA

香川照之は化け物俳優になった。

もう誰も彼の快進撃を止められない。

怖い。この人を見てるとうすら寒い恐怖を覚える。

この映画には怖い男がもうひとりいる。

リストラされたことを家族に話せず

自分の携帯電話が1時間に5回鳴るように設定し

さも忙しそうに電話に出

「あぁ、はい。あ、あの件ですか、はい」

と、やり手のサラリーマンを自作自演する津田寛治。

去り際も唐突なのにリアルで不気味。

それから、意外と言っては失礼だが高圧的な小学校教師役のアンジャッシュ児嶋一哉が「おやっ」と目に留まるほど好演。

「君は僕を無視してくれればいい。僕も君を無視する。それでいいだろう」と言った時のうつろな顔。

というように幽霊や殺人鬼が出てくるわけではないのだが、登場人物の表情が怖いんである。

・・・不幸がずっと続くことはない。

幸せがずっと続くことはないのと同じように。

絶望のどん底で私たちは再生のかすかな音を聞くし

幸せの絶頂と感じた時にはすでに転落ははじまっている。

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2009年5月28日 (木)

「スナフキンの手紙」

えっと、私が見た第三舞台作品の中では「???」とピンと来なかった作品です。

キライっていうか、なーんかポヤーンとしてて分からん。

まずあらすじを理解するのに5・6回かかりました。

あらすじを分かるようになった後も、観終わった瞬間にすべての内容を忘れてしまう。

なぜだ。なぜこんなに覚えてられないのだ。

第三舞台の芝居を見ていて「古いなぁー」と感じることは実は私はあまりありません。

86年の「デジャ・ヴュ」でさえ別に古いとは思わなかった。

しかし唯一「・・・・ちょっと古いかも」と思ってしまったのがこの「スナフキン」。

阪神大震災やらオウム事件やら酒鬼薔薇事件やら9・11やらイラク戦争やらを経験してから見てしまうと・・・うーん。

94年当時は時代より先に行く本だったと思うのですが。

匿名・削除無しの巨大掲示板・やんすネット(=2ちゃんねる)なんてズバリで「おぉっ」って思ったし。

ただ、94年の彼らの苦悩よりももっと深い現代人の心の闇を覗いてしまうと

暗い心持にならずにはいられない。

闘いの90年代を経・・・闘いよりも、戦争よりもつらいものとはいったい何なのだ?

自殺か。刃は自分自身に向くのか。

自爆か。われわれには爆弾を抱えて自身もろとも全てを破壊してしまうしかないところまで来てしまったのか。

今上演する場合、「スナフキン」が一番やりにくいのではないかと思う。

ラストの唐突さもそうですが

「あなたサイコダイバーだったのね!」

「さぁ今だ!彼の精神にダイブするんだ」

「みんなで輪になって一つのサイコチェーンを作るんだ」

などのセリフが、今、真剣に言おうとすると強烈に恥ずかしい。

でもここカットすると薄―い話になってしまうし・・・なんか別の言葉を考えればいいのかな。

「沈没」のくだりなんかは面白くて好きなんですけど。

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2009年5月27日 (水)

アンテナ

半海一晃さん(いいよねーこの人。生で一度は見たい方。)の舞台を観に行こうとしたら既に終わっていた・・・・。

★「素。」

http://www.nelke.co.jp/stage/su/

たった5日間て!短いよ!行けんがな!

戸田恵子さんをスズナリで見れるチャンスでもあったのに。むむ。

てかこういう企画があるならもっと早めに連絡してくれよ、と(誰に言ってんだ・・・)

ほかには、こんなん気になってます。

★「ユーリンタウン」5月末

http://www.ryuzanji.com/

はじまります「座・高円寺」のこけら落とし公演。

こけら落としが流山児★事務所。

本当にいいんですか佐藤信さん。

流山児さんのことですから何しでかすことやら。

★「マクベス」7月

http://homepage1.nifty.com/j-ishikawa/kodomo/company/index.htm

子供のためのシェイクスピアカンパニー。

キム・テイさんがクレジットされてて頬がゆるむ。

NHKハングル講座のころから好きなのだ。

あっそれと戸谷さん結婚おめでとうございます。

★「マレーヒルの幻影」12月

http://www.morisk.com/plays/gen_ei/index.html

おっきい人が出ます。

昔メッセージかアンケートかに「岩松さんの芝居に出てほしい」と書いたことがあった。

その声が反映された・・・なんてわけはなく、たまたま実現。

良々くんと一緒てのも要注目。

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2009年5月25日 (月)

僕はね、

「僕はね、喜びを分かち合う相手が欲しいんです。喜びなんですよ一番重要なのは」

「つらいことじゃなくて?」

「そんなのはなんてことない。一人でじゅうぶん乗り越えられる」

「でも喜びはそうじゃないっていうの?」

「分かち合う相手がいない喜びには、幸せがないんです」

「そうでしょうか?」

「いいことがあって一人ニヤニヤ喜ぶってことはあると思います。

でもそんなの長続きしない。

喜びは、二人で分け合ってこそ喜びなんです」

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2009年5月23日 (土)

四川のうた

http://www.bitters.co.jp/shisen/

私は映画関連の日中翻訳も依頼を受ければやっている。

わたくしめに仕事をいただけるのなら、「ぜひやらせていただきます」と謹んでお受けする。

修行中の身ゆえ、仕事を選んでるような場合ではない。

声をかけていただけるだけで有り難き幸せ。

さて。

『四川のうた』は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督作品。

ジャ・ジャンクーと言えば、2006年に『長江哀歌』でヴェネチア映画祭で金獅子賞を獲得しており、

中国の第五世代以後の監督の中でも異彩を放つ若き新星だ。

彼の映画に関する原稿の翻訳を手がけたことがある。

この仕事はおもしろかった。

一方で苦労もしたが、それは私の中国語(と日本語)の未熟さからくる問題であって、

いただいた原稿そのものは非常におもしろかった。

また、私がこの監督に注目する理由として、日本映画との関連も挙げられる。

彼が映画を創作する際の一つの重要な合作対象はオフィス北野。

そう、北野武監督の映画会社。

寺島進氏の所属事務所。

数年前の『プラットホーム』と『青の稲妻』はどちらもオフィス北野が創作資金を提供している。

ここから中日映画合作の一つの流れを見ることができる。

『長江哀歌(原題:三峡好人)』が素晴らしかったので、『四川のうた』のほうにも期待を寄せている。

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2009年5月22日 (金)

シアターテレビジョンのこと

書くべきか否か迷っていたため、少し古い話題になるが

唯一の演劇専門チャンネルであったシアターテレビジョンがなくなってしまった。

チャンネルが消えるわけではないが、内容が今までとは全く別のものになるので事実上の廃止である。

数年前から、同じものばかり再放送してコスト節約するんじゃないよーと思っていたが

まさか全部なくしてしまうとは。

今後は国内の芝居は放送しないそうだ。

経済的事情もあるだろうから方針転換には譲歩するとして(非常に残念だが)

私が気になったのは

有料チャンネルであるにも関わらず、視聴者に何の説明もなかったこと。

「放送やめます」という連絡が来たのが放送中止の23日前という、誠意ない態度がもっと残念。

せめて1ヶ月置いて、6月から廃止にするべきだろう。

シアターテレビジョンを利用していたことのある者として

こんな杜撰な会社だったことに失望を隠せない。

これで芝居がテレビで見られるのはNHKWOWOWだけになってしまった。

でもWOWOWは大型企画しか放送しないし。

コスト控えめの佳作は切り捨てられていくのか。

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2009年5月21日 (木)

頑張らんでええんとちゃうやろか

日本人は頑張るのが好きだ。

自分でも「頑張ります」とよく言うし、人にも「頑張って!」とよく声をかける。

しかし私はこの「頑張る」という言葉に前から疑問を抱いている。

欧米人はあんまり「頑張って」と言わない。

じゃあ何て言って声をかけるかと言うと

Break a leg!」(足を折っちゃうくらい張り切ってやっておいで !)

とか

Hang in there!」(そこでふんばれ!そこにしがみつけ!)

などと言う。

中国語では「頑張れ」は「加油(ジャーヨウ)」と言う。

読んで字のごとく、油をつぎ足して、ハッスルしちゃいなよという意味だ。

オリンピックの応援で中国の観客席から「ジャーヨウ、ジャーヨウ!」という声援を耳にしたことのある方も多いだろう。

でも、これらの言い方と、日本の「頑張れ」は、なんかこう、違う気がする。

居酒屋に入ったら「とりあえずビール」のように、

人に会ったら「頑張って」と「とりあえず」言っとけばいいだろ、みたいな風潮がないだろうか。

「頑張って」という言葉は確かに便利だ。

考えなくて済むから。

「ありがとう」も「応援してるよ」も「しっかりね」も「君ならできるさ」も「大丈夫だよ」も全部「頑張って」で済ませてしまっていいのだろうか。

その人への言葉を考えようともせず、私は思考停止してしまっているのではないか。

場つなぎのように発せられる「頑張って」「はい、頑張ります」

これほど中身のないやりとりもない。

だいたい、頑張れ頑張れ、と、頑張り続けて、その先に何があるんだろう。

頑張ってない人には「もうちょっと頑張れよおまえ」と言わなきゃいけないこともあると思う。

自覚を促すために。

でも頑張ってる人に「頑張って」って言うのは、なんだか一生懸命走ってる馬のお尻を更にペシペシ鞭で叩くような、急かすような、余裕のない感じだ。

だから私は頑張ってる人には「頑張らないで」と声をかけたほうがまだマシなのではないかと思う。

Take it easy.

気楽にね、と。

人に会ったとき、短い言葉で気持ちを伝えたいときに私たちはすぐ

「頑張ってください」

と言ってしまいがちだけど、

もっと自分の具体的な言葉で、しかも簡潔に、表現できるようになりたいなと思う。

「頑張って」だけじゃなく、何にでも、誰にでも、どんな状況にも使える便利な言葉にわれわれは頼り過ぎているんじゃないかなあ。

自分の言葉遣いで駄目だなと常々感じるのが「かわいい」って言葉の使い過ぎ。

自分に「かわいい禁止令」出したいほどさ。

「かわいい」って言ったら罰金100円。

あぁっ今日の日記だけで300円払わないといけなくなってしまった。自滅。

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2009年5月19日 (火)

チェーホフ試論

チェーホフの戯曲は手強い。

稽古の様子をホビロンさんの日記で読みながらそう思ったし

実際に演じられているのを見ても同じ感想を抱いた。

チェーホフの作品の底流に鳴り響く音はふたつ。

「人生はわからない」

「(私の心が)わかってくれたらなぁ」

つまり、たがいに相手の心が分かりあえていない。

だから、分かりあえていないことの集積である人生も、社会も、わからないことになる。

まさにそのとおりで、人生は長く生きていてもわからないことが多い。

この「わからない」という、人間の全史を貫く絶対主題の作品化に最も成功しているのがチェーホフだ。

したがって、チェーホフは今までも、そしてこれからも「現代性そのもの」であり続けるだろう。

チェーホフは結核を患っていたこともあり、いつも死を意識していた。

手紙では50までは生きるつもりだと言ってるものの、とにかく早いうちから自分の命は短いと思い定めていた。(チェーホフは44で亡くなっている。若い。)

さらに自身が医者であるだけに自分の病を客観的に判断し、周囲で起きる出来事を、常に死と言う出口から見ていた。

誰だっていつかは死んでしまうのだから、だったらなぜ日々の生活を大切にしないのかという問いかけが、どの作品にも出ている。

メメント・モリ(死を想え)だ。

私たちはほかに仕様がなく、毎日あくせくしながら生き、さまざまな問題に直面しているけれども、考えるだけ考える一方で、

「わからない」ということがあるということもわかりなさい、と。

そう考えると、老人になるとチェーホフがひとしお心に沁み入ってくる、というのも合点がいく。

まだまだ未熟者の私には、チェーホフ戯曲のほんの一部しか理解できていないと思うが

耳元にふっと囁きかけてくるような語り口は私の心にもちゃんと届いた。

(参考文献:「すばる」2008年)

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2009年5月18日 (月)

トスカ

舞台裏のドタバタ騒ぎに題材を採った作品と言えば

東京サンシャインボーイズの「ショウ・マスト・ゴー・オン」や「オケピ!」という有名な作品がある。

が、もうひとつ、私が「バックステージものコメディ」の傑作だと思うものがあって

それは、「動物のお医者さん」という漫画の「トスカ」の回。

わずか18ページの作品だが、何度読んでも涙が出るくらい笑ってしまう。

念のため言っておくが、プッチーニの歌劇「トスカ」は悲劇である。

数年前、大地真央さんが演っていたのも記憶に新しい。(警視総監が篠井英介氏だった)

普段は獣医学生のハムテルが主人公だが

この回はハムテルの母親・絹代(オペラ歌手)が札幌に「トスカ」の凱旋公演にやってきて

そのエキストラとしてハムテルら獣医学部の学生たちが出演する。

ところがこの舞台、トスカ(絹代)の相手役が体調不良で降板して代役になり

それによってスケジュールが押し

予算も少なく(だから地元学生がエキストラだったりする)

かなり混乱した現場であった。

舞台装置の費用をケチったため本番中に椅子の足が折れ、空気椅子で演技を続ける悪役の警視総監。

その警視総監をトスカは刺し殺さなければいけないのだが、用意されてるはずの小道具のナイフが舞台上に無い。

しかたなくトスカは警視総監をワイルドに素手で絞め殺す。

さらに、死んだ警視総監の近くにあるロウソクの火が警視総監の衣装に着火。

死体役なので警視総監の役者は何とか死んだフリのまま耐えるが、幕が閉じた瞬間に「燃えてるぞー!」「消せー!」と大わらわ。

決定的にトチってしまうのは、御察しの通り、前述の学生エキストラ。

クライマックスで銃殺隊として登場する彼らは誰ひとりとして「トスカ」のあらすじを分かっていない。

自分たちが出て行って何をすればいいのか、その段取りすら分かっていない。

慌てて舞台監督に段取りを聞くが、舞監も忙しいため

「行進して出てって、指揮官が合図したら鉄砲を撃て。退場は主役と一緒にしろ」

という指示しか得られない。

さて舞台上に出て行って銃を構えたまではいいが、眼前にはトスカと、彼女の恋人マリオの二人の人間が・・・・・どちらを撃てばいいのだ?

「トスカ」のストーリーを知ってる方には蛇足の説明になるが、銃殺されるのはマリオである。

しかし学生たちはトスカに銃を向けてしまい、

トスカが撃たれたのにマリオが倒れて死ぬという珍妙な事態に。

このあとトスカは城から身を投げて死に(悲劇だからね)

観客は「ブラボー」と拍手で応え盛り上がる。

学生エキストラたちは自分たちがどうやって退場すればいいのか分からずマゴマゴしていて

「主役と一緒に退場」と言われていたため

トスカが身投げしたのに続いて

あろうことか銃殺隊の彼らもトスカと同じところから退場・・・・・

つまりトスカのように銃殺隊も次々と身投げしてしまうのだ。

そのさまが幕が閉じる寸前に観客に見えてしまう。

「ブラボー ブラボー ブ・・・・?」と拍手が止まり、「シーン・・・・」と静まり返る客席。

あとに残ったのは舞台監督の青ざめた顔だった。

「説明が足りなかったのは認めるが、まさか飛び降りるとは・・・・・」

「絹代は(それほどは)トチらないでやった。

原作と違うストーリー展開になってしまったのは彼女のせいではないし

たぶん誰のせいでもないだろう。

誰のせいでもないが・・・・

初めてオペラを見た客に『トスカ』が悲劇だとわかってもらえたかどうか――

それだけが気がかりである」

というナレーションでエピソードは締めくくられる。

淡々とテンション低めで進んでいくのが逆に可笑しさを増幅させます。

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2009年5月 3日 (日)

愛しあってるかい?

再発したと聞いてある程度の覚悟はしていたけど・・・。

清志郎さん・・・・・。

58歳・・・若いなぁ・・・惜しい。惜しいよ。

かっこよかったよ。

あんた、ずっとかっこよかった。

いい曲たくさんありますけど

訃報を聞いた時に頭に流れたのは「トランジスタラジオ」でした。

私の中で、第三舞台を代表する曲の一つがこれでして。(無論YMOROXY MUSICOPUSなどほかにも思い当たるものがありますが・・・)

「第三舞台81~91」でこの曲がかかるのでそういった印象があるのですが、

「宇宙で眠るための方法について」の冒頭に流れたのがこの曲だとか。

もっと貴方の歌声を聴き続けていたかった。

清志郎さん、ゆっくり休んでください。

いや、天国でも思いっきりロックしてください。

ありがとう。

「トランジスタ・ラジオ」

http://www.youtube.com/watch?v=jCZSmXSD2OQ

Woo 授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ

寝ころんでたのさ屋上で たばこのけむりとても青くて

内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ

彼女教科書ひろげてるとき ホットなナンバー空にとけてった

あぁ、こんな気持ち あぁ、うまく言えたことがない ない あい あい

ベイ・エリアから リヴァプールから

このアンテナがキャッチしたナンバー

彼女教科書ひろげてるとき ホットなメッセージ空にとけてった

授業中あくびしてたら 口がでっかくなっちまった

居眠りばかりしてたら もぅ目が小さくなっちまった

内ポケットにいつも 今も トランジスタ・ラジオ

彼女教科書ひろげてるとき

ホットなナンバー空にとけてった

あぁ、こんな気持ち あぁ、うまく言えたことがない ない あい あい

Ah 君の知らないメロディー 聴いたことのないヒット曲

Ah 君の知らないメロディー 聴いたことのないヒット曲

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