メメント・モリ=死を想え
身内に病人が続出している。
治るのから治らないのまで、いろいろ。
「若そうに見えても人間60過ぎりゃどっかしらガタがくる」というのが目下の話題。
悲観はしない。ただ、そうなんだな、と思うようになった。
友人や知り合いでも、家族が入院したとか亡くなったとか、そういう話を聞くことが増えている。
自分はまだそんな知らせをたくさん聞く年齢ではないと思いこんでいたが、
長生きできる日本人は案外少ないのかもしれない。
・・と考えていたころ、お坊さんから興味深い話を聞いた。
発表されてる寿命というのは平均寿命ではなく
「今0歳の子があと何年生きるか?」という平均余命だそうだ。
つまり「今生きてる人」の平均を取ったのであって
死んだ人は含まれていないため、実際より高い数値になる。
死んだ人を含めて本当の平均を取ると55~60歳ぐらいが平均寿命で
お坊様も60以前の方の葬儀の方が多いと実感してるという。
なるほど。
それならば私の周りでそういうことが起こっているのと時期的にも一致している。
高齢社会は余命が高く、子供が多い国は余命が低くなる。
「国は寿命を発表したら年金の支払い時期を下げないといけないから余命を発表してるのではないか」とお坊様はおっしゃっていた。
たぶん、それ、当たっている。
実際は年金をもらう前に亡くなる方も多いのだろう(でなければ今の年金制度はとっくに立ち行かなくなっているはずだ)
お坊様は、60歳になったらいつ死んでもおかしくないという覚悟が必要だ、ともおっしゃっていた。
漠然と寿命は80歳という思い込みはなくそう、そう思いました。
寿命は60、あと何年、と思えば生き方や覚悟も違ってきます。
自分の生活を見つめなおし、充実した人生を送りたいと思います。
人は死ぬ。
そしてそれぞれが「固有の死」を、死ぬ。
わたしにとって、他人の死というのは、先んじるか、遅れるかのどちらかしかない。
悲劇の死と、そうでない死があるのではない。
ほとんどすべての死は、不意の、あるいは非業の死なのだ。
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コメント
いつからか結構、
いつ死ぬ? どう死ぬ?
死んだらどうなる?
を考えるようになりました。
自分の死が実感できないなら
身近な死、有名人の死等を擬似的に考え、そして自分なら。。 てな具合。
痛いのや苦しいの、まわりへの
影響、やり残しなど考えるとあれなのですがそれを除くとなんかあんまし怖くはありません。
案外 すっと受け入れきれるような気がします。
メメント・モリ
80年代初めに藤原新也氏の
本で知った言葉。懐かしい響きでした。
投稿: 葬礼 | 2009年6月18日 (木) 09時51分
墓参りに行くと隣に失恋して自殺した大学生の墓があってね。
そらつらかろうが、死なんでもよかろうもん。
って思います。
死ぬこと自体が震えるほど恐ろしいとかはあんまり思わないですよ。
死ぬことよりずっと死なないことのほうが怖いし。
ただ、自分のしたいことできなくなったりこうやって考えることができなくなるのがつらい。
どうせ死ぬ こんなオシャレな雑貨やインテリアやら永遠めいて
投稿: 巌 | 2009年6月18日 (木) 14時14分
すごく うなづいて読んでしまいました。
まさに そのとーりだと思います。
時間は どれくらい残されているのか わからないのだから、悔いのない人生にしたいですね。
投稿: りえ | 2009年6月19日 (金) 02時24分
りえさん>
便宜的に使うことはあるけど、「一般的に」なんてモノはないんだと私は思います。
みんなそれぞれ固有の人生を歩み、固有に死ぬのだと。
だから「平均は~」「ほかのみんなはこうだから~」っていうのはナンセンスだなーって。
投稿: 巌 | 2009年6月19日 (金) 07時03分